本日も、数学者の生徒さんと、発声の本質について話し合いました。
「ピッツァの生地を基盤と考えず、トッピングやタバスコを基盤としているのが巷の発声!」との名言を頂きました。
まさに、鼻腔共鳴だの、マスケラだの、軟口蓋を上げるだの、最終的な微調整やら結果としての現象を、先に基礎的な段階で盛り込むと言う、本末転倒をやらかしていると言う、哀しい、虚無感に苛まれる状態なのです。
合唱団でも、開いて脱力に偏っていると、年配者になるほど、スカスカに抜けてしまう声に成るのです。
合唱団だけでなく、ソロの指導でも、パッサッジョは開きまくり、媚びまくった声にさせようとしているのが何とも痛々しく感じてしまいます。
最近は、音大などでも先生方の演奏を動画サイトで聴くことが出来るように成りましたが。。
逆効果に成らぬようにお祈り致します。
日本人の声楽家は、ウ母音に表れるように、平べったく声圧が低いですが、その根本原因は、基礎的な明るさ、笑い、希望と、それに対応する厳しい感情が足りない事です。
明るい感情が足りないのに、うわべっ面な笑顔でふりをしているだけなのです。
だから、胸郭も、下がりぎみなのです。
アッポッジョの声は自己内で巻き起こる対立、ぶつかり合いで成り立ってます。
根本がおとなしく、そこから構築する必要があるのです。
明るく厳しい声、出せますか?