発声に必須である自己主張は、どこから生まれるのか?
それは身近な存在からの圧力であると言えるのでは無いでしょうか。
のほほんと育ったお坊っちゃまは、その圧力が少なく?それに対する圧力も生まれない!
心の作用と反作用である。
ユング派の河合隼雄氏によると、「ものわかりの良い親を持つこと」に対するリスクについて述べられていた事を思い出す。
ものわかりの悪い頑固親父が子供に何かを押し付ける時に、良くも悪くも親父と言う存在を強く感じる。
それに対して、愛情を感じる事もある、と同時に反発なり何なり、思う事が生じるのである。
ものわかりの良すぎる親を持つ事は、その反作用も生まれないのである。
叱って欲しい時に叱らない!
これでは子は寂しく成ると言うものである。
私は、現代の友達のような親子関係を手放しで容認出来ない。
圧が足りないのは、圧を受けていないからである。
黄金期の歌唱力は、過酷な社会情勢による圧の賜物であるとも言えるのでは無いか?