発声の仕組みをバランス構造的に捉えると、表題の事は当たり前であり、これは、何事にも言える事だと思います。
しかし、所謂「夢見る人」?らは、この現実を受け入れず、「それは間違った発声である証拠!」と、宣います!(笑)
本当にあまちゃんだと思います。
とどのつまりが、発声が出来てもいないのに、パワフルな声に圧倒された悔し紛れの知ったか振りで、「認めたくない」と言う動機が大きいのでは無いでしょうか?
特に学者もどき!(笑)
本当に、発声の歴史で、足を引っ張っているものは、二度の世界大戦と、知ったか振りの学者もどき!教師もどきと、モダニズム!であると言えば、言い過ぎでしょうか?
解っていないから、易々と否定出来る!と言う事もあると思います。
そうしないと、自分を否定する事になると言う側面もあると思われます。
出来てから否定しろ!と言っても、出来ない奴が否定するのが常であるから、本当にしょうがないですね。
自己正当化により、偉大なる遺産が台無しにされる事、世の中、腐るほどあると思います。
言うは易し!この一言に尽きると思います。(笑)