発声とは、一つ一つの力のパーツを取り上げると、偏った、今風の言い方で表現すると、「クソ」で、「クズ」みたいなものなのです。
それで、その単体を否定しにまわるのが巷の「ド素人発声理論」であります。(笑)
そのクズのようなパーツ、アイテムを三種類集め、ゲーム風に、形に埋め込み合体させると、途端に光輝き、正解の扉が開くのでした!
要するに、構造が解っていないから、単体での部品を、役に立たないと思い込み、捨ててしまうのです。(アホでしょ?)
逆に言うと、素晴らしい声の構造は、少しでもバランスを崩すと、たちまち「クソ」と化す際どいものなのです。
魅力的なものって、その危険度も高いのです。
だから、ド素人に扱える代物ではないのです。
それを、自分はド素人たと言う認識無しに、すぐそこに解答があると思い込み、せっせと見当違いの方向を探していると言う事に成ってしまっているのですから、笑うに笑えません。
音楽の感動は、言語の意味を超えた抽象度の高いものであると言う事も再認識する必要がありますね。
いくら、言葉をハッキリと伝えようとしても、土台となる声のポジションが外れていては、何の感動も呼ばないのですから。
発声に拘る事を、馬鹿にしている輩にも一発パンチを食らわせたいと思います。
寝ぼけたド素人ぶりもいい加減にしろ!
それらのド素人考えの輩の発言は酔狂での戯言に近いのです。
おかしな人達が輪を成しているこの世界、うかつに近寄ると怪我しますよ!(笑)
なんて、言いたい放題言ってますが、その位言っても罰当たらないほど、おかしな世界だと言う事は、私も一歩離れて眺めてみてよく分かりました。
全ては、ド素人考えの威張っている人達の性です。(笑)