私は特別に、何々心理学と言う、既成の心理学を学んだ訳でもないが、かなり発声体感から派生する「反応」から、様々な事を学ばせてもらっている。
ある現実に対し、認知的な不協和を抱く場合、即ち居心地が悪くなる場合、その対処法として、大きく二つの選択肢がある。
それは、自分が変化しようとするか、それとも、自分以外の性にするかである。
その根本原因が、自らのステータスにある場合は、発声と同様に、自分を変えるのは相当大変な事である。
例えば、そこで、何か自分に対するイライラを、他人の粗を探す事により、それをターゲットとして文句をガミガミ言う!と言う、代償行為に走るパターンも、考えられる。
とにかく、とりあえずの応急措置としての代償行為を繰り返す事で、一時しのぎ的な仮初めの精神安定を図るのである。
地域に、特定の割合で存在する、これらの、所謂「うるさ過ぎる人」の心理の一面を推測してみた。
物事の解決は、少々痛くても、根本的な治癒を行わねば、それらの不満はつのるばかりであろう。
八つ当たりも、勿論、その類であり、人間は皆、多少はそれもゆるされる、かわいげのある一面と成るのだが、常軌を逸したものになると、有害に成る事は、発声でも同じ事が言える?かも?(笑)
しかしながら、その代償行為により、大金持ちに成ったり、社会的活動を活発にしたりする事で、経済発展と言うメリットもあるだろう。
現在の資本主義では、「借金」と言う不協和に対する行動で成り立っているのである。
しかし、その制度も、無限大に政府の借金が増えると言う有り得ない理屈、結論の上に成り立っている虚構の社会とも言えよう。
いつかは、そんな代償行為では破綻する事は目に見えているのである。
やはり、根本原因をどうにかせねば、根本的解決は得られない事は、当たり前の話である。
発声と同じ事ように、心理現象も当たり前な事では無かろうか?
原因と結果があると言う事である。