この訓練は、物事の本質的なところを観る視点、観点、感性、知性が必要であり、深さとは何か?明るさとは何か?など、根本的、本質的な理解が必要にも拘わらず、一般的に、非常に短絡的な捉え方が横行していると言わざるを得ません。
一面的、断片的に、言語の持つイメージ、そして、過去の経歴など権威に纏わる結果に捕らわれて、自らのアンバランスな声の正体に気付こうとも思わないのです。
過去はもはや過ぎ去っているのですから、やってくる変化に対応せんと、日々、盲点の発見に勤しまねば成りません。
これは、進歩する程、そのグレードの基準が高い所にあるので、大変です。
さて、肉体が、どれだけ付いて来れるのでしょうか?
明るさと苦しさのバランスと言えば、すぐに「苦しいなんてもってのほか!」と思う人は、かなり分割思考の洗脳に侵されていると思われます。
思考を正確な定義の基での言語に頼っているうちは、概念と概念の狭間の盲点に気付けないと言う視点、ありますか?
言語よりももっと抽象度高いところにある思考があると言う事を認識する事で、意識の抽象度も上がると思います。
頭のモヤモヤも、無意識に抽象度高い演算をしている事から来るのでは無いでしょうか?
結論を言語で急がなくても、いずれ結論は出るのです。
声楽発声の訓練は、そのような事を教えてくれました。
私は良く天然だと言われますが、ある意味、ボーッと待っている事で、勝手に脳が正解を出してくれると言うものであり、言語で急がない!と言うと言う事では無いかと思っています。
これが、勉強出来る、記憶力良い人は、待てないのですよ!(笑)
「一晩じっくり考え抜いた!」と言う程度が「じっくり」など、笑ってしまいます。
一晩などで解るわけね~だろ!?(笑)
ある程度、天然ぼけも必要では無いかと自分を慰めてます。(笑)