「何々であるとすると、こう言う事も言えるのでは?」
と言うような、直接的には関係の無いように思える事柄に関連性を見いだす事が出来る思考をする人が少なくなって来ているのでは無かろうか?
それこそが、自分の頭で考えると言う事であり、抽象度高い目線で俯瞰する事を可能にするものであると思う。
名探偵の推理では無いが、一本の線で繋がった!と言う所まで考えたいものである。
例えば、やたら「アクート」に拘ると言う思念と、一流歌手の記述とを照らし合わせてみると、一流歌手は「アクート」と言う言葉や概念をさほど持ち出してはいない。
そこで、素直なマインドは「あれっ?」と思うのである。
要するに、まともな論理性を有していれば、アクートと言う現象は、方法では無く、もっと抽象度高いバランスによる結果としての現象である事に気付く筈である。
でなければ、そもそも、声においては一貫性の無い継ぎ接ぎ的な構造であると成ってしまうのである。
パッサッジョ域の重要性が優先するのである事も、物事の因果関係を考えれば自然に察する事である。
ここで改めて言いたいのは、如何に巷のは、非論理的な思考でのものか!?と言う事である。しかも抽象度低い!
これでは、残念ながら、現時点での声の現実など把握する事は不可能に近いのである。
本当に残念でならず、寂しくて成らない!