先日、ご紹介した71歳アマチュアバリトンさんの最近の高音域への進歩に関してですが、ご本人は、その事について、こう述べておられました。
「このメソッド以前の発声では、やはり脱力の方向に偏ったもので、取り合えずばきれいに出るのですが、それではしっかりとした高音域には到達出来ない事が分かりました。逆に、このメソッドで、潰れたような声を出していた状態だったからこそ、到達出来たのだと思いました。」
との事です。
やはり、これは体感したもののみが理解できる世界であり、そういうある種の力みを頭ごなしに否定すると言う事は、その世界を知らない、理解できないと言う事にも成ってしまうのです。
バランス論とは、技術的に非常に難しいものであるのです。
余りにも時間が掛かる為、他人の発声がどうたらこうたら寄り道している暇など無いのです。
偏りを把握出来る見方を得られると、偏ったものに対しての執着が無くなります。
それよりも、どうすれば整うのか?と言う興味しか無くなります。
他人の、ある傾向への否定が主になるよりも、どうすれば良くなるのか?と言う事を主眼とする方が、遥かに建設的ですね。
それが解らないから、否定が主になるのは、どこでもある事でしょう。(笑)
本当の目的は、自分自身でも盲点に成っている事ありませんか?
安泰した地位とお金さえあれば、発声なんてどうでも良いなんて人も多いでしょうかね!?
私は、気が済みません。(笑)