勿論、咽頭収縮筋を柔軟にする秘技も当然行った上での話であるが、声楽発声とは、一枚岩では無く、複雑で難しい!と言う事に尽きると感じた。
逆に、その何がどう難しいのか?と言う事を追究すれば、対処法も具体的に分かって来ると言う事である。
端っから、「難しく考えるからダメなんだ!」などと言う理屈もあるが、これを前提とした進歩は体験した事も、お目にかかった事も無い。
精々、本人が「出来た!」と錯覚しているのがオチである。(笑)
更に考察すると、何故出来ないのか?と言う問題であるが、「簡単なものだと考えているから!」とか、「単純に捉えているから!」とか、「一枚岩で考えるから!」と言う事であろう。
それが声に関するベクトル、即ち表情の偏りを生み出す結果となるのである。
本日、アマチュアのライトバリトンさんの初レッスンで、声が良い方向に激変した結果から、やはり、私の考え方は間違っていなかったと確信するものであった。
声の多元構造の、今まで足りなかったピースを、「咽頭収縮筋をほぐす」と言う項目で、浮き彫りになり、埋まった!と言う感触である。
勿論、多元構造故の難しさは、今まで以上であり、それを把握して整った時は、今まで以上の声になる!と言う事である。
簡単にするとは、技術を磨くと言う事であり、決して未熟な段階の者が、簡単に考えて出来るものでは無いと言う事である。
特に、社会的な洗脳度の高い人が、私が目標とするような声を出すのは、至難の業である。
母音の発音などの、抽象度低い項目を、大きな構造の中の一部だと言う事実を理解しにくいのである。
つまりは、認識の抽象度が低いと、物事の主従が分からないと言う事にも繋がるのである。
唯物論的には、最も卑下されてきた「抽象」が、実は非常に大切であり、その中にある部品が具体である。
動画は、ライトバリトンの初レッスンと、それで確信を深めた私の動画である。