特にパッサッジョ域からのキューゾのフォームは、日本語の発音に慣れ親しんだ喉では、まず無理でしょう。
日本語には、後ろ側の表現が無いのですから。
そんな喉で、キューゾのフォームに無理やり仕向けて、まともな声など出る訳ありません。
ですから、日本人声楽家らは!パッサッジョ域や、キューゾに対する認識が無いのです。
チンプンカンプンなのです。
だから、キューゾとは、声帯を閉じる事だと思い、しかも、喉声にならぬように、「薄く軽く接近させて」と言う程度のものであると勘違いするのです。
そんなフォームでは、霧吹きのように噴射して散らばるのがオチでしょう。
私が到達したキューゾとは、以前、藝大で、教えておられたイタリア人バス歌手の方が仰っていたと言う「そんな楽な発声ではダメ!拷問!拷問!」と、恐らく同じ境地かと思われます。
最近のピアニシモと併用出来るポジションが、まさにそれです。
これ、ほんと、トンでもない感覚ですよ!
更に、そのフォームは、全身の筋肉を巻き込み連動させるので、全身が疲労します。
日本人声楽家がパッサッジョから今一つ感がある原因も、全て悟りました。
巷の発声を批判しておりましたが、少し同情してしまいました。
ああなるのも、無理無いですわ!
恐らく、20年前の私が、今の私に師事しても、「こんなの絶対無理!」と、逃げ出すでしょう。(笑)
不思議な事に、その苦しみと裏腹に、声は安定して、楽そうに聞こえる事が、落とし穴だったのです!
楽に歌ってると騙される筈です!
中途半端に楽なところで歌うから苦しそうなニュアンスが出て来るのです。
日本人は、その中途半端な苦しそうな声を聴いて、ほぼ100%の指導者が、「脱力!」と教えるのですから、良くなる筈は無いのです。
もっと、追い込んだ、トンでもないところが正解だなんて、夢にも思わないのです!
これで、ほぼ謎が解けました!
本日のレッスンは、例の音大卒のバスの生徒さんです。
早速、追い込んで差し上げました。
まだまだ発展途上ですが、やはり質が良く成って来ました。
方向性を見極める事が如何に難しく、大切であるのかを理解した次第です。
ほんと、耳だけ自慢の方々に、体験して頂きたいです。
如何に浅い理解で聴いていたかを悟って頂きたく。(笑)