声楽発声のような抽象度の高い研究をしていると、言語そのものが、如何に道具に過ぎないかを理解する事となる。
単語の概念、定義なども、人間が作り出した事は、疑いようが無い。
もし、言葉そのものが、最も抽象度高いものだとすると、非言語的な悟りとは、どのようなものと成るのであろうか?
そんな事を考えているうちに、ここでは言えないが、とんでもない事に気付いた次第である。
全ての誤解の根本も、そこに在ったのであった!
そうだよ!抽象度低い言葉に過ぎないのだよ!
声楽発声のような抽象度の高い研究をしていると、言語そのものが、如何に道具に過ぎないかを理解する事となる。