ドンカルロの、国王フィリッポと、宗教裁判長のバスの二重唱ですが、フィリッポ役のベロセルスキーは、安定性ばっちりで、バランス良いのですが、向かって左のタノヴィッツスキーは、喉頭下げ過ぎで、アッポッジョの形に成っていませんね。(勿論日本人よりは断然良いのですが。)
喉下げ過ぎると、パッサッジョ域の高音部で、声がお辞儀したように成り、停滞した印象となります。要するに、喉頭下げ過ぎると、アッポッジャーレをコントロールすべき部分、即ちキューゾに関係するところが機能しなくなり、少し下に開いてしまうのです。
凄いバスらしい響きが欲しい!それには喉頭を極限まで下げる!などと、結果としての現象の一部に拘ると、この様になる可能性があるのでしょう。
やはり、ものの考え方から勝負になると言うことであり、それは、アッポッジョと言う発声哲学を如何に捉えるかと言う違いでもあると思います。
現象に魅せられ、現象を追い掛ける時に、その抽象度高い根本原理に目をやるのか?はたまた現象だけに拘るのか?
それは、その後の声楽人生を大きく左右する事であると思います。
声も頭も情緒もバランスが大切だと思います。(笑)