アッポッジョ派とプレースメント派の違いとは?
私が勝手に考えた結果、プレースメント派とは、音高、声区により、適切なる響きの当たる場所(結果)を頼りに歌う派閥である。
一方、アッポッジョ派とは、プレースメントはアッポッジョによる結果の、各声区、音高での現象に過ぎず、大切なのは、その大元にある体感的、力の操作原理、即ちもたれ掛かり(アッポッジャーレ)であるとし、そのもたれ掛かりの派生として、全身への力の満遍ないせめぎ合いの分布(アッポッジョ)があるとするものである。
尚、もたれ掛かりとは、声の力の球体のようなものが、気管の最上部に、上から下へもたれ掛かる事を表しており、sul fiato(息の上に乗る)と言う概念とも繋がるものである。
これは、ベニアミーノ・ジーリが言っている「声帯の下に空気のボールのクッションを感じる」と言う内容(記憶によるものなので、正確ではないが、そのような概念を唱えていた)とも一致するものである。
そうなると、声の形の妙技とは、アッポッジャーレの「のしかかり方」が問題となる事になるのである。
しばらく、私は、そのようなアッポッジョの構造に定住して、そこの操作原理を試し、経過を観る事とする。