声楽を勉強したてに、良く起きる現象ですが、今まで良いなあ!と感じていた歌手の声が、つまらない声に聞こえてしまう現象!
今回、解明の末、起きた現象は、やはり一流は凄い!と言う事です。
何が凄いのかが理解出来るのです。
良く解っていない状況では、かえって一流にさえ物足りなさを感じてしまうと言う事でしょうが、それは、ある種の偏った価値感による「魔境」では無いかと、自らを振り返り思うのです。
やはり、アッポッジョ、キアーロスクーロを極めて初めて判る世界があるのだと思います。
合唱指導者も、「オペラのソリストでは無いのだから」と、どうしてもそのような境地に対して、反発心、抵抗が生まれる事も理解出来ますが、本当に声を管理すると言う事は、その境地に達して損は無いと思われます。
中途半端にアッポッジョを会得?
アッポッジョの発声技術に触れると言う事は、どういう結末に至るのか?
これらの試みは、まだ始まったばかりであり、特に合唱に関しては、あらゆる状況を考慮するに、「これが正しい!」と言い切れないところがあると言うところが、現在の私の見解であります。
大なり小なり、アッポッジョは、力を閉じ込める技術なので、それによる不具合に対象出来る為には、指導者自ら、探求し続ける姿勢も必要では無かろうかと思うのです。
やはり、分割思考により、一見整理された理論でも、声である事には変わりなく、その結果、「合唱の発声は適当にやれば良い」などという結論に至って欲しくは無いのです。
少なくとも、指導者は、偏りを感知し、修正案を提示出来るスキルを持たねば、アッポッジョを取り入れる事は逆効果に成りかねないのです。
武道でも、生兵法は怪我の元なのであります。