私が、「もっと喉を搾って!」などと言うと、世間の常識に洗脳されている人達は、「とんでもない事を言っている!」と言う風に想われている事でしょう。(笑)
しかし、日本でも、比較的正統派の教えを受けてこられた先生方のレッスンでの情報を聴くに、「喉開けて!」などという事など一つも言わず、「搾る」「閉じる」などの教えであるようです。
多数派が、実はまがい物であったと言う事、「喉搾る」などと、殆ど聴いたこと無い、常識とは真逆の教えに対して、演繹法的秀才はかえって認めない傾向にあるのでは無いでしょうか。
秀才、インテリは、物事を整理する事は得意のようですが、その区分けそのものが、物事の関連性を見えなくさせている事ってあるのではないかと思っています。
人間は、いい加減な事を言う!嘘を言う!と言う事を考慮せぬと、ある事を鵜呑みにしてコロッと騙されて、それを前提として、誤った現実認識に陥る事って、意外と多い気がします。
「こうであった。故にこうである筈だ!」てな具合に。
要するに、人間の取り決めた社会通念、常識、権威、学歴、実績などを取っ払った抽象度高い視点が必要であると言う事だと思います。
後、人を崇めてはならない!と言う、お釈迦様の教えは、真実たと思います。
とかく、人や教祖を崇め奉る事が行われてますが、「教え」そのものが尊いのであり、釈迦自信も「自分が偉いのでは無い!」と言っているようです。
発声でもそうです!
法則や、それを利用して考案された技術そのものが尊いのであり、例えそれを発見したところで、人物そのものはいずれ死んでしまうただの人間だ!と言う事なのです。
となると、現在の仏教は?宗教は?どうなっているのだ?(笑)