発声器官が、マインドが脆弱な状態の人にとっての必要な訓練は、「ある程度の負荷に耐えられる」と言うところに仕向けねばなりません。
この段階で、きれい事だけで取り繕ってしまうと、弱々しい状態から抜け出す事は出来ません。
スポーツでも、基礎体力が無い人は、まず、最低限の基礎体力にまで強くして行く事が先決です。
そこを、「力むな!」なんて言っても、仕方のない事なのです。
途中段階における、少し潰れた感のある声を、私も出して来て、それに対して、やれ力み過ぎだとか、喉に力が入っているだとか、言われ続けて来ましたが、それは必要だった事が、今、明らかに成りました。
巷は、いきなり表面的にきれいな声に仕上げようとするのです。
それは、声の構造、発達、熟達の工程も判らない、即ち正しい未完成の途中段階を知らないのです。
世間で言う、左翼だか右翼だか何だか知りませんが、批判する事だけを目的としたマインドが蔓延しています。
それは、同時に「どうして良いのか判らない」と言う実態の顕れであると思われます。
私は、そこら辺にも、突っ込んで行きたいと思っています。
決め付け、罵倒、全否定、主従を無視した細部のクローズアップ、これらは、その類いであると思われても仕方無いと思います。
脆弱のまま、きれい事だけで、強化訓練を怠って来た人が、もしも指導者の立場に成れば、それは悲劇的としか言いようがありません。
そして、それは、現実に起きているのです。
だから、いつまで経っても同じ低レベルな状態が続いて来たのです!
それもこれも、量産化された社会現象の一つとも言えるでしょう。