深い理解に至ると言う事は、心で理解すると言う事だと思います。
そして、それは、応用が利き、全ての出来事にもつながって来るのです。
書物での活字の理解には限界があり、例えば、読書を沢山しても、それは自分のものでは無く、借り物です。
物知りには成れるけど、それだけではクリエーターには成れません。
体験として心で理解したもの、心に刻み込まれたものは、一生忘れませんよ!
そして、その理解に関しては、どんどん言葉が、湧き水のように出て来るのです。
頭でだけ理解したものは、同じ言葉でも、説得力に欠けます。
他人の言葉なのです。
実体験を通した深い理解、即ち、心からの理解から発せられる言葉は、イメージが伴う為、聴いている方も、そのイメージを感じ取ります。
自分の頭で考えると言う事は、そう言う、深い理解に根ざした思考だと思います。
意外と?と言うか、エリート程、借り物の知識ばかりに頭が埋め尽くされ、上辺の理屈に留まっているのでは無かろうかと、発声がずさんな状況で何十年も同じ迷路をグルグルと回って来た驚愕的な事実を目の前にして心より感じる所存であります。
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頭で理解した発声理論と、心で理解した発声の違い
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