せめぎ合いによるマクロ構造の声を出して気付いた事は、内省的な内向きの意識が滅し、リアルな現実感のみが残ると言う事である。
マクロ構造の声とは、現実に見える風景その物である!風景こそが、出している声を象徴しているのである。
何だか、量子力学の、「見ない月は存在しない」にも似た話かも知れないが、現実の風景を、淀みなく見れているかどうか?が問題となるのである。
見えていれば、声は整ったものである。
視点が内省的に成れば、淀むのである。
マクロ構造の境地に達するには、現実主義(ヴェリズモ)的境地こそ大切に成ってくると思うのである。
しかし、その結論は、内向きでの「せめぎ合い」の結果、到達したものであり、そのせめぎ合いのバランスが崩れると、たちまち意識は内側に避難するのである。
益々面白くなって来た次第である。(笑)
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せめぎ合いの構造で成り立つ声から見えて来るものとは?
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