この問題の根本を、諸外国では理解されておらず、勿論自国の日本でも、無意識化されて来た事により、声楽発声の基礎的な段階で、踏み外す事にも成って来た事を、今更ながら理解している。
誰も取り上げない事は、存在しないと見なされて、無意識化されるのである。
この問題の根本を「英語喉」と言う観念で発見して頂いたおかげで、立体音声の仕組にまで考察出来、結果に結び付こうとしている事に感謝している次第である。
そのおかげで、何故、声楽発声で、声帯を薄くするとか、ファルセット出すようにとか、息を流す(実は息を混ぜる手法)と言う風に、縮小する傾向に仕向けられるのか?と言う事も、「そうせざるを得ない」と言う理解に至る事が出来たのである。
その結果、どうなっているか?
誰が歌っても同じ、声帯過緊張を避ける為の没個性的音声、即ち、同一企画の枠内におさめられたものに成ってしまっているのである。そして、その形を正当化する為の情報を探すように成るために、情報ソースの矮小化が起きる、従って、視野も狭くなり、部分に拘るようになることも必然的と成る。
もし、二次元平面音声を、三次元立体音声に変える事が出来れば、そこには、全く異なる声楽発声の世界が待ち受けているのてある。
今までは、二次元平面の構造で終わってしまう為に、立体枠(拮抗による)の存在に気付く事も無かったものが、その立体の果て、枠に到達する事が出来るように成り、その境地に至るには、「相反する力を同時に働かせる」と言う事の出来る脳に仕向けなければ成らない。
二次元平面音声人がパッサッジョ域から高音域に至るには、声帯を薄く引き伸ばし、ファルセットに近付けるメカニズムしか見当たらないのであるが、三次元立体音声に成ると、胸との繋がりを感じる、立体に埋まった音声を出す事が可能なのである。
この事は、まだ浸透していないので、経済学者が無意識化していた通貨発行権、信用創造、貨幣のカラクリを、いきなり暴くようなものなので、恐らく理解されない事が多いのではと思われる。
しかし、この問題は、私の門下生の研究者等により、いずれ、白日のもとに晒されるであろう。
私が生きている間に、今後の発展の為の起爆剤として、そのノウハウを編み出す事が、使命であると認識している。
↧
平面音声の問題
↧